2018/12/26
えと、今さらなんですけど、去る12月20日、大将がまた今年も誕生日を迎えました。
毎年毎年、この日になるとどうしても誕生日とかいって年齢を一つ増やしていかなければならないそうで。
なんだかんだで46歳。
店頭やSNSでお祝いの言葉を下さった方々、本当にありがとうございました\(^o^)/
さて、不惑と呼ばれる40を過ぎはや6年。いまだ人生には惑い惑わされ・・・それは現代という乱世を生き抜く多くの四十路ーズも同じことでしょう(だよね?だよね?)。
そして、まだアラフィフというには早いものの、50歳へのカウントダウンが始まったのであります。
50歳といえば「知命」というらしい。
大辞林によると「人は五〇歳になって、自らの運命・宿命を知る」ということだけど、これは40代で無事に「不惑」をクリアした人にしか訪れないような気もする。
閑話休題。
大将がまだガキンチョの頃、大人たちがよく自分の歳を間違えたりするのが不思議でした。
子供である自分の方が親の年齢をきちんと把握しているとか。
絶対わざと間違えてるやろ〜って思ってたんですけどね。
今年、遂に大将にもその時が訪れたのです。
今年の誕生日で自分が46になるのか、47になるのか?
本気で分からず、生年月日を西暦で引き算したうえで「引き算の結果に1を足さなくてはならないか否か?」を真剣に考え、その末にどうやら46で間違いないようだ、と一安心。そのうえで妻に確認し、答えが一致したところで結論としました。
そうこうしているうちに20日をむかえ、無事に46歳になったのですが。
で、ですよ。
事実に反し、大将は危うく47歳になるところでした。ヤバかったです。小学校で引き算(しかも四桁!!)を習っていてよかったです。
では、どうしてこういう間違いが起こるのでしょうか??
実は、あくまでも大将自身の場合ですが、遂にそのメカニズムの解明に成功したのです!
(ただし、私のように誕生日が年の後半にある人の場合、と注釈を加える必要があるかもしれません。)
まず、大将の誕生日は12月。12月といえば、
・一年の一番最後の月である。
・学年(年度)においてはあくまでも「後の方」ではあるが、「早生まれ」という特別な呼称を許される1月〜3月生まれを
除けば最後の月になる。
次に、この歳になって年齢が話題になるケースについてですが、
・大体どれぐらいの歳であるか?
・正確に何歳であるか?どの学年か?
の二通りがあると思います。あくまでも、会話の流れの中で自然にどちらかの意味付けが行われるものです。
人にもよるでしょうが、大将の場合は自分が小中校を過ごした地元の三津で商売をやっている都合もあるとは思いますが、「正確な歳」を問われる場合が結構あります。ようは、学年ですね。誰々と同級生とか、そういう話題になることがよくあります。
その場合、あくまでも典型的な例として挙げますが、以下のように自分の年令を説明することが多いのです。
相手「大将って何歳なん??」
大将「45ですよ。
あ、今年で46になります。」
相手「あ〜、それやったら○○君とかと同じ学年やね〜」
大将「そうそう、小学校の時はよく遊んでましたよ〜」
みたいな。
地域の常連さんと話をしていると、こういった会話からいろいろ話題が広がったりするんですよね。
注目すべきポイントは、これは誕生日前の会話である、というところです。
誕生日さえ来てしまえば「今年で○○歳になります」は必要なくなるんですよね。
そこで問題になるのが誕生月です。
そう、12月生まれの大将は今年のほとんどの期間を「45ですが、今年で46歳になります」と言う必要があったわけですね。
そうすると何が起こるかというと、重要ではない部分を省略してしまう、すなわちここでは「45です」が省略されてしまうわけです。
つまり、
相手「何歳?」
大将「
今年で46歳です」
となるわけです。
ここまでならな〜んにも問題ないのです。
しかし、いつしか上の会話はこうなるのです。
相手「何歳?」
大将「
46です!」
ね。
多分、一年のソコソコ早い時期にはこの段階に入ってしまうので、長い期間を「46です〜!」で過ごすことになります。
こうして、実際よりも1個上の、誕生日後の年令がいつの間にか「現在の年齢」を乗っ取ってしまうのです。
そういうわけで、まあ、なんといいますか、あれですよ、あれ、あの〜、46になりました。おしまい。